描くに似た何か

ジャクソン・ポロック展、東京国立近代美術館、2月10日〜5月6日
陶芸家の孫である人が「うちのじいさんポロックが好きで…」と言っていたような気がするので行ってみた。お客さんのお洋服が全体的におしゃれでした。
本展の目玉である「インディアンレッドの地の壁画」の「地」を「ち」と何となく読んでいたけれど、あれは「じ」と読むべきものらしいと途中で気がつく。無機的なタイトルをつける人であるので、「地」は背地の色を指すだけであるようだ。私は「地」を「土地」ととらえて、赤土の広がる荒涼たるアメリカの大地を思い浮かべていた。そんな誤解のせいか、また陶芸家の作品を思い浮かべながら見たせいか、ほとんどの作品に土の匂いを感じてしまった(いくらかは当たっていると思うのだけれど)。
ポロックが制作する様子を撮った映像が幾種類か残っているらしく、それらを編集したものが会場内で流されていた。「別に珍しくない。東洋ではふつうですよ」とわざわざ画家が言っていることからも推測されるけれど、床に画面をおいて描くということ自体が新奇なものだったらしい。映像だけでなく、写真にも撮られている。当時の受け止め方として(あるいは現在も)、作品は画面で完結していたのか、それともこの行為込みだったのか。込みだとすれば席画(江戸時代の画家などがよくやった作画パフォーマンス)みたいねー。ライブ実演なんてしたのかしら。

さて、ポロックの「描き方」には3種類ほどあるようだけれど、ポーリングすなわち「流し/注ぎ」と呼ばれる描き方(たぶん)は、筆を画面から浮かせて絵の具を垂らしながら筆を動かす。案外筆の動きはふつうに描くような速さだ。筆をひゅんひゅん振るわけではないのだな。「描いている」のだけれど、画面と筆の間には空間があって、力がダイレクトに紙にもたらされるわけではない。「描く」ことと似た、でも少しずらした行為。
そしてこれに似たまた別の行為として、陶芸の「流し掛け」という技法がある。柄杓に液体状の「うわぐすり」を汲んで文字通り流し掛ける。これ自体はかつて基礎的な技だった(?)のだけれど、色の違ううわぐすりを部分的に流し掛けることで表現する作家や産地もあって、件の陶芸家*1もそのひとりだったので、そりゃあね!と思い、そういうわけでポロックの絵も陶器に見えたりもしたのでした。
こういう知らない世界のものこそ図録は買うべきよねえ(買わなかった)。

*1:誤解を避けるために言うとハマダショージではありません