会田誠展:天才でごめんなさい

森美術館、2012年11月17日(土)〜2013年3月31日(日)
「なにけ、この人天才なんけ?」という恐るべきご下問が上司ドノからあって、しどろもどろに「あ、あの、すごく才能があって賢い人なんですが、自分で頭から天才だと信じ込んでいるタイプではないと思いますよ。このタイトルはあえてつけたはずです、たぶん」と答える。天才かどうかは知りません。なお私がこの質問に遭遇したのは、ここが「山のかいしゃ」だからじゃなくて、上司がこういう子どもみたいな質問をすることで有名な人だからです。
 だからというわけでもないけれど、見ておかなくてはいけない気がしていたので行ってみた。クリスマス前に行こうとしたら、展望台デートの人々の大行列ができていたので(六本木ヒルズの展望台の入場とセットになっている)、今度は昼間に行ってみた。この人が作るもの、特に女性がモチーフになっているものは不愉快極まりないのだけれども、うっすらと「信頼できる大人」だという気がしている。やや村上春樹みたいだな。
 早い時期のものはわりと見ているように思ったけれど、平山郁夫をモチーフにしたやつは知らなかった。日本画には日本画絵具という画材に非常に重きを置いていて、高級な画材でざらざらと壁のような砂糖菓子のような絵肌を作って、高級なものに仕立て上げるという世界があるのだけれど、適当な安い画材を古ふすまに塗りたくってそれっぽい絵肌に仕上げている、など。微苦笑。
 一部の絵画作品を除いて、多くの作品が「手わざ」とか「完成度」とか「素材のよさ」とかそういうものを否定するスタンスで、だから出来上がるものはチープで投げやりで、私の見たいもの・ふだん見ているものとは正反対なのだけれど、おおむね楽しく見た。作品とは裏腹に、真面目で誠実な人なのだろうなという気がしている。異様に過剰な多幸感に包まれた仙人を描く曽我蕭白も実際はきわめてクールな人(酒呑みではあっても)なんだろうな(想像)、というように作品と真逆なタイプの作家ってわりとありますよね。ちょっとひねくれてみた、という思いつきだけのようなものも、これだけ堆積すると何か違う風景が立ち上がってくるようだ。「絶対に正しいこと」というものを信じない、理路整然と整理されたものへの抵抗感。
抗議も出ていて話題の18禁部屋も見る。何か理屈をつけていて、それも制作にあたって本当に考えたことであり、たとえば美人画というジャンルについても刺さってくるのだけれど、でも結局美少女が好きなんですよね、とも思う。
この人に限った話ではないけれど、作品の保存が無理だなあ。段ボールとか。再制作がいくつかあったのも、そういう事情も絡んでいるのだろうか。作家の主義がどうあろうと、50年後にだって100年後にだって500年後にだって、その時作家がつくったその「モノ」を見たいという欲求が見る側にはある。作家がそれに応える義理もないのだけれど。脱酸素カプセルとか(何だそれは)に入れれば朽ちないのだろうか。
印象に残った言葉。「困った時の伝統頼み」。うわあ、気を付けよう。