スポンジには大きすぎる

何年か前、父に「欲が深いな」と言われたことがあった。「欲張り」ではなく「欲が深い」。あっちとそっちの展覧会に行きたいから車で連れてってね、という要求に対して発せられただけなのだけれど、確かに己はそういう者であるなあと妙に腑に落ちて、以来「欲が深いのォ」と自分に突っ込んだり「ワタシ欲が深いので」と開き直るのに愛用している。*1
で、この言葉が日常会話で使われるのに遭遇したのは父に言われた時が初めてだった(たぶん)と思うのだけれど、今日貴重な2例目(たぶん)に遭遇した。100円ショップのスポンジコーナーで選んでいるおばちゃんに対してもうひとりのおばちゃんが「(私は)欲が深ェから、大きいヤツなら小さいのにも用が足せると思って買ったけど、全然駄目だった(から適した大きさのものを買ったほうがいいよ)」とアドバイスしていた。へえーめちゃカジュアルな用法だなー、とびっくりした。スポンジ対しては宗教的すぎるというか、大きすぎる言葉だと思うのだけれど。それともあのおばちゃんにも「己は欲が深い」と認識する出来事があったりしたのだろうか。

*1:私の欲の深さなどたかが知れているなあ、としょんぼりしたりもする。