谷文晁展

サントリー美術館、7月3日〜8月25日
出先仕事の帰り、夜間開館へ。相変わらずふわふわと見る。
江戸時代後期の関東の、あるジャンルの画(中国っぽい作風)の頂点に立って、渡辺崋山など膨大な数の門人(画をやるなら一度は文晁の門を潜っておけ?)が出入りした人。そして一体どういう人だろうといぶかしくなってしまうほどに色々やった人。その「色々」のサンプルがとにかく出そろった様子。この箱(会場)には収まりきらない巨人であることが実感されました。
淡色の山水、いいなあ。青山園荘図のスケッチもいいなあ。「この絵(自作)をいつ誰にいくらで」の控えとか「見た名画のスケッチ」とかは、ねちねちと分析してあったりしないのだろうか。
父子という縦ラインで注目される、作品が市場の対象になるというのは基本だけれど、妻とか娘とか(この展覧会には出てこないけれど娘の夫=詩人)とか、一家全員が描いたものが興味の対象になるというお話(図録)も面白かった。門人としての息子・娘じゃなくて、「あの一家」という注目のされかた。大雅夫妻も子どもがいればそうなったかな。巨大な一大派閥を作った人だけれど、今回は「一門」の紹介は軽く触れただけ(数年前に板橋区美でやった)。本人も一門もがっちり紹介する大きな展覧会を待ちたい。
面白かったのは石山寺の絵巻の模写・補作。石山寺に頼まれて、原本(鎌倉時代)の欠けている巻を補作するということをやっている。残っている巻や同時代の別のもの(春日縁起絵巻)などを材料に、「ないもの」をさもあったかのように作る。平家納経の宗達の補作は全く「宗達」に見えるけれど、これはかなり優秀な文体踏襲。水村美苗の『続 明暗』みたいな*1。でも、この模写・補作経験は以後の自作にもろに反映されていたりするのだろうか。擬古趣味的な復古やまと絵的作例…。なくはないけれど、あまり目立たないという感じだろうか。中国絵画に関しては大いにやっているのにね。なんでもやった人だとはいえ、「やまと絵はおれの仕事じゃない」という線引きがあるのかな。あと、あの青・緑色のキツさはなんだろうか。原本と比べるとどうなんだろうか。
『集古十種』(松平定信のもとで従事した文化財調査・記録)とか名品模写とか、岡倉天心とその一門がやった仕事に色々オーバーラップしてくるのだけれど、天心はそこらへんはどう見ていたのかな。あんまり天心門下が文晁文晁言っているのは聞かない気がするけれど。そうだ、秋には水戸(茨城県近代美術館)で天心没後100年の展覧会がやるんだった!

*1:しかし鑑賞者が元ネタを思い浮かべて喜ぶ的な楽しみ方は想定されていないんだろう。