生誕140年記念 下村観山展

横山美術館、2013年12月7日〜2014年2月11日
久しぶりに横浜美術館に行ったら、みなとみらい駅の真上=美術館の真正面にお買いものビルが出来ていた。やったー。レストランフロアもあったので行ってみたら混んでいた。
横山大観*1の盟友ながら、なかなか単独展が開かれない画家。わたしにとって初めて見る観山展。近代日本画のメインストリームにいた人なので、代表作は近代日本画を語る展覧会にはしょっちゅう出ているのだけれど、2番手クラスの作品はこういう機会でもないとなかなか見られないのでありがたい。重要な代表作が前期だけだったり、他の展覧会とかち合ってしまったりして残念な部分もあったけれど、一番好きな№118「維摩黙然」(大蔵集古館、大正13年)が見られたので満足。
観山は大観と一緒に開校間もない東京美術学校に学んでいるけれど、その前に狩野芳崖・橋本雅邦にも学んでおり、ものすごくうまかった。卒業後すぐ助教授になっている。で、上手すぎて、かつ狩野派や古典が体に染みつきすぎて、大観みたいに思い切ったことができないとか、同時代的にはそういう評価。あと筋をとおすとか、食わねど高楊枝的なカッコよさとかには無頓着な印象。絵バカなのかな。キャリアの中ほどの英国留学以降の評判があまり芳しくないのだけれど、私は後半の方が好き。
・親戚筋に伝わった下絵がまとまって出てきたということで、貴重。
・朦朧体時代の作品の存在感が案外薄かった。ただし、№38「春秋鹿図屏風」(初めて見た)はたいへん美しい作品だった。№39「納涼」(東京芸大明治35年頃)は、影絵ふう。江戸期の作品で何かしらベースにするものがありそう。
明治35年、29歳で英国へ国費留学しているのだけれど*2、留学前のインタビューで観山自身が「写真図版で名画は大分みているが、写真はモノクロだから色を確かめて来たい」という趣旨のことを答えている。そうか、そうだよね。しかし初めて見た時からラファエロの「椅子の聖母」の模写(№44)の色の気持ち悪さが気になっている。今回改めて見て、モノクロ写真に手彩色したような、と思った。素地の日焼けのせいもあるかしら。別バージョンは肌が白っぽかったので違和感が少ない。
・代表作のひとつ№48「木の間の秋」(東近美、明治40年)を初めてすごいと思った。抱一の夏秋草のモチーフを絡めつつ(どちらかというと其一っぽい調子)、雑木の彩度・明度で空間を表現した作品。宗達の槙桧図(金地に水墨)は見ているだろうか?モチーフや手法は借りているけれど、全然別のものになっている。
・そういえば観山の後期は大正〜昭和初期で、南画風が大はやりのはずだけれど、その影響は割合に少ない。片ぼかし使用作品はごく一部(しかしみごと)、あとは大観の「山路」と関係がありそうな、荒い緑青・群青のかけ流し的描写。特に№98「静清」(福井県美)という面壁の達磨を描いた作品の、苔類を表現するかけ流しが美しい。
・晩年の道釈人物画によく使われる粗放な墨線、それ自体が動いてほどけつつ絡み合うようなそういう印象。
・「木の間の秋」など充実した色彩表現の直後に発表された白描の№56「魔障」(東博)が見事。明治43年の作とあるが、大正〜昭和初期の白描画と関係あるだろうか。
・晩年の宋元画への接近の一例である№111「寒空」(福島県美、大正12年)が見られて良かった。思ったより線が立っていてもやもや感が少ない。この展開をもう少し見てみたかった。
・それにしても人物の顔が独特でヘン。というか近代日本画の人物の顔って、画家ごとにある程度定型があって、たいていヘンに感じる。前田青邨とか。狩野派みたいにみんなでひとつの定型を共有してくれた方が落ち着いて見られるんだけどなあ。

観山の晩年の日々を論じた図録の文章の末尾に「齢五十七は画家の没年に相応しくない、と思う」とあった。同意。夭逝か長命かどちらかにしてください。

*1:本当はこの展覧会の前にこの美術館でやっていた大観展も見たかったのだけれど。

*2:ちなみに夏目漱石は明治33年に34歳で留学