並んだ話

「北京故宮博物院200選」東京国立博物館平成館、1月2日〜2月19日
いつものとおり古びてしまった話だけれど、2時間45分並んで清明上河図を見ました。しかしまあ、なんでみんなこんなに辛抱強いのだろう、こんなにも並んで見る価値を自分の人生の中に見いだしているんだろう(自分のことはもちろん棚にあげる)。中には生後半年未満じゃないですか?というような小さい赤ちゃんを抱いて並んでいる人も(赤ちゃんをつれている人は複数いた)。ウィルスにつかまらないかなあ、重くないかしら、しかしちっとも泣かないんだなあ、と心配しつつも、世の中には業の深い人(業の深いというのが最近私の中で流行っている)がいるものだなあ、子ども産んでも美術館行ったり大行列に並んだりしてもいいんだなあと愉快にも思いました。色々なことをやる人がいるほうが、世の中生きやすくて良い。でもちょっと心配。
えんえんと立ち続けて体じゅうが痛くなった頃ようやく部屋にたどりつき、後ろの老婦人と「やっとつきましたねえ」と顔を見合わせたのだけれど、そこからさらに30分かかったのでした。この人は買ったばかりの図録を抱えて「こんなに時間があるおかげで勉強ができるわ」「うーん、地名だか人名だかよくわからないわねえ」と、時々隣のお連れ合いに言いながら機嫌良く並んでいた。こういう人が後ろだったのがせめてもの幸い。あの人はお友達にあの絵のことをどんな風に語ったのかしら。
待っている間は壁に張られた巨大複製を見て、ほおほおこんなことも描いてあったかな、と楽しむわけだけれど、その直後にぐっと小さい現物を見るとやっぱり原本の特別な存在感というものを感じてしまうのでした。でもつねに「すこしずつお進みくださーい」と声をかけられて立ち止まることも許されず5分と絵の前にいられない、もう一回戻って人の後ろから見ることもできない雰囲気で、欲求不満が募るばかりでした。あーあ。並んだことばかりが頭に焼き付いてしまった。ということで、これは見た話ではなく並んだ話。

展覧会本体の方は先にあわてて見ました(清明上河図のためだけに行列があったのです)。ちょうもうふ(趙孟フ)の水村図とか、かきゅうし(木+可九思)の墨竹図とか、日本の昔の画家がこれを見たら、話が違う!と怒り出すんじゃないかなあ…困ったなーと思いました。
それにしても、ちょうもうふはよかった。夏には色付きの方も見たのだけれど、何日かおきにこの二つの絵のてんてんやふわふわを思い出してはこっそりニヤニヤしている。
明日で終わるけれど、もう清明上河図は出てないので行列はないと思います。(もう一回行きたい気分だけどたぶん無理)