菱田春草展

長野県立信濃美術館、10月16日で終了
古い話ですいません。没後100年。朦朧体問題を追及していました。図録に出ていた「朦朧体」という言葉の由来も面白かった。「朦朧法」じゃない理由。漱石も一瞬朦朧体って呼ばれたんだって(確認しようと思ったけれど図録どこいったかな。そんなこと書いてありましたよね)。
ポスターになっていた「水鏡」はとてもよかったけれど、基本春草は風景の人。卒業制作の顔を見ながら、この頃、狩野(とか)じゃない「顔のスタイル」をみつけるのも結構大変だったのかしらと思う。
最後の部屋にあった四季山水図巻がとてもよかった。冬木の線、など。
あと今更だけれど、彼らの主題、ほとんどが古画(室町とか)の読み返しなんだよなあーと思った。誰だってそうだといえばそうなのだけれど、ええと。革新というけれど、かれらのめざすところのものの芯のところには古画がわりに大きく陣取っているのではないかしら。それと私には春草の画業がなんか団体戦っぽく見えるのだよなあ。彼の、というよりは彼らの。
もう一周してうっとりしようと思ったら閉館時間が来てしまった。

翌日は善光寺の山門にのぼったあと、絵解きの寺という看板をみつけて西光寺というところで絵解きを聞く。かるかや道心。300円。予約なし。大きな掛軸2本、画面をコマ絵的に分割。こういうふうに進むのか。一部は行ったり来たり、コマ内の一部を再利用したり。見せ場では歌もつきます。終わった後は世間話もつきます。絵解きを再興して40年ぐらいとのこと。